睡魔との一日

7/9(土)天気:曇りのち雨

今日は夜勤明け2時に帰ってきて3時頃就眠し6時に起きて息子を野球の試合に送り届けた。何とか間に合い8時半に学校へ到着した、眠い…鏡を見たが目が半開きだ。

野球の試合も観戦したが強豪相手に勝っていい試合を見せてもらった。息子はベンチで応援していただけだが少年野球は見ていて楽しい、眠気も少し晴れた。

 

 

私には1日1万歩と言うノルマがある。観戦だけしていては達成できない、運動公園での試合だったので試合が始まるまでの時間を利用して、公園内をグルグル散歩してみた。5千歩近く歩くことが出来たので、後は仕事中の歩数でまかなおう。

 

 

12時半頃に帰ってきて持たされたおにぎりと漬物を食べて私はまた仮眠に入った、15時には起きてまた夜勤へ出かけなければならない。目覚ましが鳴って心臓がバクバクする、髭もそらず、マスクだからとそのまま仕事へ出かけた。仕事中は寝不足で変なテンションだったが22時を過ぎるとさすがに睡魔に襲われてきた。

 

 

仕事中寝るわけにもいかず、巡回して何とか眠気をしのいだ、看護師も楽ではない。

結局ブログを書く暇もなくまた2時に帰ってきてやっとブログを書いている。

夜勤の合間に子供たちの行事などに参加しまた夜勤となると限界まで追い込まれる、忙しいのは今だけだと思いつつも年齢的に追いつかなくなってきている。

 

 

忙しい中、安倍元総理が銃撃されとテレビで見ていた。私は看護師だ、人間の死には多く立ち会ってきている、しかし銃撃で亡くなった人は目にしていないし、総理としてテレビで見ていた人が亡くなったと聞いて動揺した。人が人を殺すというニュースは多く耳にするが、あまりに有名な人が街頭演説中に襲撃され生々しい映像がテレビで報道されている。

 

 

何かを感じ取らなければいけないと思った。安倍さんの死に意味を持たせないければいけないと勝手に思った。中には安倍さんの死を無駄にしないために選挙に参加しようという人もいるようだが違うと思う。もっと根本的なことだと思った。

確かに選挙に参加することは大事かもしれないが、書面上で公約を述べたとして全くの他人、その人の人間性や仕事の内容をどこまで理解できるだろう、街頭演説で熱弁してもそれをどこまで信用できるのであろうか。実際に生で関わっていない人間を推薦すること自体不自然なことではないであろうか。

本当に安倍晋三さんを理解している人であれば宗教に加担してるかなど言われなくともわかることであろう。そのような理解不足が招いた事件だと私は思う。

 

 

だからと言ってこの万年寝不足の頭ではどんな解決策があるかなど考えつかないが、人と人とが本当に理解しあえる世の中になるために、安倍さんの死を無駄にしてはいけないのだ。

 

 

考え出すと終わりがないのでここまでとしたい、今日も野球観戦のため6時起きだ、今2時30分を回っている。

 

おやすみなさい。