関本剛さんの動画を見て

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9/14(水)天気:晴れ

今日は朝の情報番組で緩和ケア医の関根剛さんの葬儀で流れた動画について報道されていた。私もテレビで見て知ってはいたが最近不幸な事故が続いていて、しっかりと見る気になれないでいたのだ。何気なく見ていたが目が離せなくなっていて、片手に持ったスマホでは彼のYouTube動画を開いていた。

 

関本さんは私と同年代、自分も末期癌だったらどうするだろう、色々考えていた。ここ最近、自分の死についてよく考えていたのだ。正直死ぬことへの恐怖心はあるが、それよりも子供が自分より長生きすることを強く願っている、そんな事故や報道が多かった。

 

私は職業柄、人の死に立ち会うことは多い、現在は精神科の看護師ではあるが以前は消化器内科の病棟で勤務していたこともある。私がまだ駆け出しの看護師で25歳くらいだったか、膵臓癌の患者さんを受け持った時だ、患者さん(Aさん)は40代の女性で小学生の子供が一人、余命宣告はされていなかったが私に「私死んじゃうの?」とよく聞いてきた。私は「そんなことないです、治すために治療してるんですよ」と励ましたものだ。

 

当時、膵臓癌の早期発見は難しかったが彼女は手術の適応もあって悩ましい決断を迫られたと思う、結局は手術せず抗がん剤での治療を行うことになったのだ。私は地元から離れ新天地での生活で誰も知り合いも頼れる人もなく、妻と1歳に満たない娘と暮らしていた。そんな時Aさんと何気ない雑談から子供の話になり私の娘を見てみたいとお願いされるのだった。

 

私はその時本当に何も考えず、休日に妻と子供を連れてAさんの病室を訪れ、サプライズのように自分の子供を紹介した。彼女はとても喜んでくれて膝の上で愛子てくれたのだ。その時、同僚が「あれ何なの」と後ろ指を立てていたことにも気づかずに。

間もなくして私は師長に呼び出された。Aさんは「私がお願いしたのだから怒らないであげて」とかばってくれたのだが「公私混同しないように」と注意を受けた。

 

そんなに怒られたわけではないが自分が大それたことをしてしまったと感じてすごく落ち込んだことを覚えている。私はただでさえ出来の悪い看護師でよく師長に呼び出されいたのだ、しかしそれが幸いしたのか師長も私の行動に理由を見出そうとしてくれて、後々「あなたの行動に患者さんが喜んでいるのを見ていると、私も何が正しいか分からなくなってね」と話してくれたことを覚えている。

 

結局、Aさんは2年ともたずに逝ってしまったのだ。

 

話は脱線したが関本さんの動画を見て非常に落ち着いて冗談を交え、残された人たちを気遣いながら笑顔で締めくくっていた。しかしこの動画を作成するまでにどれだけ涙を流したのだろう、子供の成長する姿を見たかったであろう、老後の静かな生活を思い描いていただろうと考えると自分も涙が止まらない。

 

「最高の人生でした」と関本さんのように振り返ることが出来るだろうか。

 

答えは見つからないが、自分の精一杯を続けて後悔の無いように目標をもって生きたいと思った。子供達に何か誇れるように努力の大切さを行動で示していきたいと思ったのだ。

今日のウォーキングでの景色

飛行機が大空に絵をかいてカラッとした青空が広がっていた、田んぼは稲穂が黄金に輝いて秋の景色に心癒される。


何気ない日常を大事にしよう。